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名所・旧跡を訪ねる         
 
           
 
 
 
歴史散策 北条時宗
 
 
 
 
 
 
 
 
 

歴史散策 北条時宗


北条時宗は、1251年(建長3年)に生まれました。父は五代執権北条時頼で、幼名は正寿です。1257年(正嘉元年)に将軍宗尊の加冠で元服し、将軍の一字を授かり「時宗」と名乗りました。1261年(弘長元年)に安達義景の娘堀内殿を娶りました。時宗は、建長寺に蘭渓らの名僧をよく訪ね、法話を聞き座禅をくんだといわれています。
1268年(文永5年)3月15日に八代執権職に就きました。日蓮は、「立正安国論」をあらためて浄書し、これを時宗にささげ、外寇を警告しました。若き執権時宗が率いる幕府は、元の国使が持ってきた国書に対する返書を全て拒否し、総力をあげて外寇に対処する態勢を固めていきました。
やがて1274年(文永11年)に蒙古が来襲し、文永の役が行われました。暴風雨が博多湾上を吹き荒れ、元船はすべて漂没し引き上げていきました。1281年(弘安4年)に、元は再び空前の大遠征軍を送り、弘安の役の戦いが行われました。この時も暴風雨が吹き荒れ、元の大船団を翻弄し、多くの船を破壊しました。
1282年(弘安5年)に念願の円覚寺を建立し、自ら宗から招いた無学祖元を開山上人に迎えました。無学祖元には、元寇という一大国難にさいして、さまざまな問答をし、心胆の平安をあたえられたといわれています。
1284年(弘安7年)3月末、時宗はにわかに発病し、4月4日夕刻34歳の生涯を終わりました。絶えることない数多くの内憂外患に立ち向かい、全力を挙げて解決しました。
執権北条時宗ゆかりの地を訪ねて歩きました。

 
 
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